魔は、類を呼ぶ。 一



  あの日 頭上に響き渡った音楽を私は忘れない


  あの音、あの声が、私の前にそびえ立っていた鉄条付きの扉を開いた……
  曲がりくねった幾本もの道から たった一つへ導いてくれたのだから

  どれほど歪んでも、どれだけ時が経っても
  最後には天を突く巨大な柱となる ―――― シャシュの木のように



 **********



「え、亡霊!?」

書棚が無数に並ぶ地下だ。
素っ頓狂な声は意外に大きく反響して、背中に刺さる視線に慌てて口を押さえる。
亡霊…ですか、と小声で反芻する。

「そ!興味深いでしょぉー」

「そう、ですか?」

「や。僕もね、マユツバだとは思うんだよぉ。でも、人間夢を諦めちゃったら終わりだし」

や、それはどうだろう。
胸の中でだけ結構冷ややか事を考えながら、分厚い革張り装丁の本を書架へ戻してゆく。

夢を持つのは一般的に好いこととされる。
が、その夢が『町に徘徊する美女霊を見ること』であるならば、むしろ女性からは冷淡な目を向けられるはずだ。
それとも、この人の“夢”はあくまで『徘徊幽霊を見ること』だけなのか。
頭をひねる私の傍で、「火のないところに煙は立たずだから、可能性はあると思うんだよお」と、話を持ちかけた本人は、 お決まりの鼻に何か詰まったような声で話し続けている。

…霊がうんぬん以前に、いい加減そのしゃべり方をどうにかできないんですか。
出会って一月半、既に諦めの境地に達しつつあるこの人――キシュエの口調、……それにしたって、 上司とか他の貴族と話す時はどうしているんだろう、とかなり気になる。

「夢、ですかー」

適当に相づちを打って、手は坦々と本を整えていく。
夢なんて…、と零しそうになった自分自身にちょっとやましさを感じながら。

 *

ザインの出来事から二月、私を取り巻く状況は変わりに変わった。
そして現在。
なぜか本に埋もれる生活をしている。
父さんが知ったら泣いて羨ましがる状況だ。……が、私にはまったく嬉しくも何ともない。

都に帰ってきて、私はグレイへ会いに行った。
正確には彼に『話がある』と城――元アルグバード王家の居城に呼ばれたのだ。
今は、アムルディア伯爵領内の一城と化してしまったここへ。

「にしても気にならない?ナタちゃん」

「はい?」

「さっきの話。絶世の美女って君、そぉ言われたら一度ぐらい拝んでおきたいって考えるのが心情だよ。 ナタちゃんもそろそろこの作業飽きてきたでしょお?」

「え、」

思わず彼に見せている方の口が歪む。
やばい、肯定してしまった!

確かに。キッシュに言われなくても、いい加減本の出し入れだけ、というのはしんどくなってきたところだった。
けれどそれを正直に言うのはちょっとじゃなく躊躇われる。
何せ私は、少し訳があってここにいるから。
有り体に言ってしまえば、3週間前に問題を起こしてこの部署… 部署というほど確立されてもいない係りに、移動させられた、から。

まあ問題というより、一人で突っ走りすぎたというお咎めの元、謹慎の意味なのだろうが。

「あ、ははは、まさか。飽きるなんてそんな事…」

冷や汗が首を伝う感触をいやというほど味わいながら、 現在私の直属の上司であるキシュエさんに張り付いた笑みを向けた。
彼はと言えば、なぜ頑なに否定するのか、と不思議そうに首を傾げるばかりだ。

とにかく!飽きてきた、なんて、絶対言えないんですよ!
心中で、必死で言い募る。
言えばどうなることか。
もとい、グレイに私が飽きた、と言ったことが伝わればどうされることか。

この二月で私が肝に銘じたのは、『絶対にグレイに逆らわない』ということだった。

彼は怖い。
怒るとものすっごく怖い、…それはもう、怒りを向けられる対象から外れていてすら、 時には腰を抜かして謝りたい衝動に駆られるほどに。
最初の、ひねくれ者で少しこどもっぽい性格はどこへやら。
もはや、冷酷無情仕事に鬼以外の何者にも見えやしない。

唯一の救いは、彼のお叱りが出身国の区別なく発揮されていることだろうか。
いや、本当に全然、救いでもないでもないのだけれど。


「――というわけで、どぉう、一緒に“見回り”して顔を拝んでみない?」

「…え」

「ぉや、聞いてなかったね」

すみませんキッシュ、聞いてませんでした。
言い訳するなら、耳を外へ向けていませんでした。
周りは私達の無駄話も気にもせず、既に自分の仕事を終えて出て行ってしまってらしい。

「そう…。まあいい、取り敢えず10を回った頃に南門前に集合しよぉ」

「は?!」

「決定ね、ナタちゃん。あ、僕ちゃんと待っているから来てねぇ」

用件だけ言って、キシュエさんは私の返答など聞かずに書庫の出口へと歩いていく。
ええっ、夜!?
しかも10を回ったらって…完全に深夜じゃないか!
急な約束に頭がついていかない。
というより、さっさに断りを入れられなかった自分に動揺する。
結局、「私行きませんよ」という台詞を口から出すべく物事を処理した時には、 断り先は書庫のどこにもいなかった。
…キシュエさん。あなたって人は。

「人の話くらいちゃんと聞こうよー」

ぽつりと、誰もいない――私以外の人間の気配の皆無な書庫で、さらには地下室で呟く。
その声が耳に入った瞬間、そういや私もじゃない?と思い至ってしまってさらに沈む。

類は友を呼ぶ…。

全力で拒否したい言葉が浮かんで、私は思わず目の前に棚に頭をぶつけた。



 **********



暖炉のない書庫も寒いが、やはり外とは比べものにならない。
悴む手を擦りながら、目の前で白い息を吐き出す朱髪の従兄の出方を窺う。

「それで?」

「いや。えっと、ガウ兄にもついてきてほしい、と。思いまして」

「ふーん」

何、その『ふーん』ってのは!
あまりにも気のない様子に、引くつくこめかみ。
自然と険悪な表情をしていそうな自分を戒め、強張る皮膚を揉みほぐす。

「キシュエさん、ずっと待つからって。こんな真冬にそう言われたら無視できないでしょ?」

「じゃあ今から奴を探して、断りゃいい」

「だーかーらっ、さっきからずっと城内回ってるけど見つからないんだって!」

もしかしたら町の見回りについて行ったのかもしれない。
そうだとすると、もう夜まで帰っては来ないだろう。
それはまずい。
断ろうにも会える時が約束の刻なら、先約がいるから、という言い訳も通用しない。

「お前、ぼーっとしてたんだろぉ」

「うっ」

…図星です。
面倒くさそうな態度を隠しもせず――元々、隠すような質でもないガウ兄は、ちらとも私に目を向けず息をつく。
ふわっと、白い靄が上がって、すぐに消えた。

「言ってるだろ、仕事中は気ぃ抜くなって」

「そうだけど、」

「ただでさえお前は考え出すと周り見えねぇんだから」

ずばずばと、悉く正論で攻められ返す言葉もない。
ガウ兄に泣きついた自覚がある分、なおさらだ。

私と話している間も、ガウ兄の顔はずっと中庭――の中で剣を振るう兵士達に向けられている。
彼らの太刀筋、筋の使い方の細部にまで目を凝らしている。
その表情は至極真面目で、いつもの飄々とした雰囲気は微塵もない。
妥協なく、細く鋭い眼光をさらに細め、真っ白な息を吐きだし薄装備で鍛錬に励む兵士を見極めていた。

ガウ兄の纏う気配に今更ながら気づいて、再び開こうとした口を閉じる。
気づかれないように溜息をついて、唇を噛んだ。

「ごめん、やっぱり良いです。大丈夫。私一人で行きます」

「ん?どうしたよ、ナタ」

突如前言を翻した私をガウ兄が不審げに見遣る。
その目にカチンと来ながらも、今は怒りより苦しさが先に立つ。

「や、何でもない。うん、ガウ兄仕事頑張ってね」

「ああ、……ナーシャ?」

訝しげに私を呼ぶガウ兄に貼りつけた笑顔を向けて、くるりと背を向ける。
一刻も早くここを離れたくて、早足で中庭横の回廊を歩く。


邪魔を、してしまった。


喉に迫り上がってくる苦い溜息。
それを押さえ、走るような速度で訓練中の兵士達から見えない場所へ移動する。
薄暗い、ちょうど大きな柱で影になっているところへ駆け込んだ。
勢いよくしゃがみ、縮こまる。

「馬鹿阿呆間抜け考えなし、私の大馬鹿者めっ」

ガウ兄の仕事を妨害してどうする、しかも私が!
本当なら、この城で何より誰より気を遣って、 円滑とまではいかなくともそこそこな交友関係を作れるよう援助する立場なのに!

ガウ兄は――ガウシェン・ディレインは、アルグバードの騎士だった。

それは本人、きっとすごく誇りに思っている事――誇りにしている、事実。
けれど、その事実が、ガウ兄とアムルディア城に出入りするスレイル人との間に摩擦を生む。
それは避けられないことかもしれない。
でも絶対に避けなきゃいけないことだった。

なぜなら私達は負けたから。

戦に、彼らとの戦争に敗れたのだから。

たとえグレイがどれほど私達を平等に扱っても、それはほんの一握りにすら伝わらない。
滅んだ国の民は、滅ぼした国の民に隷属する。
それは悲しいほどに当たり前の、“常識”だ。

だから私は、ガウ兄がグレイから与えられた役目を遂行できるよう最善を尽くそうと思った、のに。
ただでさえ誤解されやすい性格の従兄が、せめて言われなき非難を受けないように。
小さい頃お世話になった分、陰に日向に応援しようと思っていた、…のに!


自己嫌悪と申し訳なさと、誰にも向けられない憤りが胸を焼き焦げあげていく。

私は、ガウ兄に依存しすぎている。
前から考えないではなかったけれど、…この前大暴れした時、そして今の事で確定した。
困って、逃げこむ先はガウ兄だなんて。最悪だ。
今思えば、試しの森からザインへ一緒に行動してもらったことも、 そもそもザインへの旅支度をガウ兄の家で済ませたことも…。

思い返せばきりがない。
自我が芽生える以前から頼っていた気さえしてきて、顔が火を噴きそうなほど恥ずかしい。

「しっかりしろ」

ぱしん、と頬を打つ。
じんっと痛い。
でも必要だ、絶対に。
この痛みが必要だったと、そう思う日は遠からず来るだろう。
私はここへ闘いに来ているのだから。
甘ったれな自分は綺麗さっぱり抹消…はできなくとも、せめて誰の目にも触れさせちゃいけない。

――決めたから。
それはグレイに呼ばれた時から胸に秘めていたことだった。

それでも私は本当の意味では、きっと理解しきれていなかった。
そのせいで起こったのが前回の大騒動で、…だから謹慎を言い渡された。
『もう同じ轍は踏まない』
そう、肝に銘じた。

だから、と。もう一度、頬をはたく。


考えてみれば、キシュエさんのお誘いも大したことはない。
『絶世に美女だよ、ゼッセイのビジョ。ナタちゃんも気になるでしょぉー。むっちむちの胸とお尻で、 少し濃い肌色で睫毛が長くて細顔で、なおかつ黒の髪ならもう言うことなしだよお』という考えには、 まったくこれっぽっちも賛成できないけれど、…意外と彼自身はいい人だ。
キッシュこと、現在の私の直属上司キシュエさんは、あのムキムキマッチョなナキュエさんの兄だという。

聞いた時は逆でしょ?と思った。
誰がどう見てもナキュエさんの方が老けていたから。――とは、本人には絶対言えない。
けれど、兄弟だけあって、二人は根本の性格がよく似ている。
面倒見が良くて兄貴肌で、同性に好かれるタイプ。
…そして女性に優しい。
まあ、優しいのと気配りができるというのとは全くの別物なんだけれども。
それでも無体を強いられることはないだろうし、遅くとも12の時までには帰れるだろう。

自分に言い聞かせている間に、本当に大したことなかった気がしてくる。
暗示って恐ろしい。
いや、事実慌てふためくことでもなかっただけ、なんだろう。

「後でガウ兄に謝っておこう…」

呟いて、しゃがみっぱなしで若干痺れ気味の足を踏ん張り、立ち上がる。
大きく伸びをして、肺の隅々まで満ちるほど空気を吸い込んだ。
冷たい外気、しかも日光の当たらない日陰にいるせいかさらに冷えた身体をほぐす。

「よっし!」

お腹から声を出して、湿った気持ちを吹き飛ばす。
止まっていた足を再び進める。
まだ少しだけ仕事を残している地下書庫へ、そこへ降りる階段を目指した。


時節は冬。

中庭に数本だけ植えてある木は全て葉が落ち、まるで枯れ木のようだ。
その一枝に一羽、漆黒の鳥がとまっていた。
私はそれを横目に見、建物の内部へと入る。

背後でバササッと翼を広げる音がした。







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