前門狼、後門は虎。四


キラリ、と冷徹な色を帯びて、美しい刃は彼女の頭上で光を放つ。

「伏せろっ!」

気づけば叫んでいた。
冷たい青で地上を照らす一つの月の中、彼女の真横から男が長剣を振り下ろす。
鋭く放った命令に、彼女は素直に従ってくれた。
彼女が伏せ、剣を避けるのを見、足場を蹴った。

くそっ、光丹は何をしている!

心中で盛大に舌打ちする。
彼女の奥に僅かに見えた灰色髪の影を罵りながら、制圧し終えた南棟の階段を駆け下りる。
こういう時、やつらのような身軽さが羨ましい。当人達に言えば、倍になって文句が返ってくるだろうが。
光丹は驚くほどあっさり飛び降りた。
彼女を連れて、というところが気に入らないが、頼もしいのも確かだ。
俺があそこまで高所から一足で飛んだら、間違いなく骨折、運が悪ければ命を落としてしまう。

最後の数段を飛ばして、裏庭を見下ろすバルコニーへ走る。
俺の姿に再びメイド達が恐怖で固まるのを横目に見、薄い扉を蹴り開けた。

 *

「――でしょう、お仕置きをすると」

途端に、粘り着くような声が耳に届く。
庭へ向けた視界は木の葉で大半を覆われていたが、辛うじて誰かを取り巻く傭兵と、 それとほぼ同じ数の地面に顔を伏せる兵達が見えた。
彼女の姿は、……ない。

「殺しませんよ。まだねぇ!!」

再び同じ男の声で、物騒な叫びが聞こえる。
ほぼ真下からだ。
とすると、葉で見えにくくなっている場所にいるのか。
そして、同時に分かりたくなかった事実も知ってしまった。

「動くなぁ!!この女の喉を掻っ切るぞぉ!!!」

この女、が指す人間は彼女しかいない。
まったく厄介な事になっている。
どうして彼女は自ら危険に飛び込みたがるのだろう。
悪態をつきながら、沸騰しそうな頭をどうにか落ち着かせる。

「武器を捨てろっ、跪け!」

男の声は優越感が凝り固まったようだ。
油断と、その裏にある対象者への怯え、それを必死に取り繕おうと足掻く小狡い自尊心と。
出世できないタイプだな、と熱を持った頭で考える。
少なくとも俺なら、絶対にこういう男を指揮官クラスにはしない。

馬鹿げた仮説を立てる自分に心中で舌打ちした。
些末なことで頭を埋めようとするのは、現状から目を背けるためだ。
今、上階にいる俺にできる事は少ない。
見えないから余計に不安をかき立てられ、焦る。
最も、見えたなら見えたで、彼女の首に刃が突き当てられている状態に正常な反応を起こせる自信はない。


それでもどうにか視界に彼女をおさめようと、せわしなく辺りを見回す。
幸いこのバルコニーは俺が飛び降りられるほどには低く、 また地上の人間が普通に視界に入れるには高い位置にある。
その時、目が見慣れた背格好の男を捕らえた。

光丹だ。

見止めた瞬間、向こうも俺の存在に気づいたらしく僅かに口の端を上げた。
やつは相変わらずかすり傷一つ負っていない。
そうでなくては困るが、ガウシェンとは違う意味でかわいげの欠片もない年下の影を見て、 俺の頭もようやく少し冷えた。

「嫌ですよ」

笑った光丹の声が聞こえ、その時ようやく彼女の脚を視界に入れた。
俺の立ち位置はちょうど彼女の真後ろで、小柄な男の背と禿げ上がった頭が見える。

「では、彼女の首が飛んでもいいと?」

ざわめく傭兵達の中から、耳障りな声が聞こえ、光丹を見る。
再び目があった影は相変わらず余裕綽々で、困った顔を作った。

「それが問題なんですよ。その人を守れと命じられていますから」

命じたのは、俺だ。
わざわざ敵を煽る言い方をするやつだ。
後で懲らしめてやる!と考えながら、僅かに目線を上げた光丹と目が合うと同時に、手摺りを掴み、 バルコニーから外へ躍り出た。

「だから。――やはりその女性は帰していただきます」

その言葉を裏庭の落ち葉に足をつけて聞き、俺は彼女の背を覆う男へ手を伸ばした。


 *


「グレイ、」

目を見開き、俺を見る彼女を視界におさめる。
腕を捻り上げ、呻きながら剣を取り落とした男を光丹の方へ放り投げた。
背中から地面に倒れた男は、未だ何が起こったのか分かっていない様子で酷く滑稽だった。
後を影に任せ、彼女へ振り向く。

「大丈夫か?」

目に飛び込むのは、頬に走る赤く滲んだ2本線や喉元の傷だ。
眉間に力が入る。
鎖骨上部、耳下、喉仏と、どれも決して浅くないものばかり。
ガキリッ、と歯を食いしばり、飛び出しそうになる怒声を押し込める。

「あ、えーと。グレイ?」

「なんだ」

「いや、あの。なんでそんなに怒っているのかなぁー、と。思って」

微妙に顔を引きつらせながら、極度に明るく言った彼女の顔を凝視する。
困ったような、悪戯を見つかった子どものような顔。それを見た瞬間、一人で怒っているのが馬鹿らしくなった。

「はぁー」

「え。ちょ、人の顔を見て溜め息吐かないでください!」

「……つきたくもなるさ」

疑問を顔中に浮かべる彼女に笑いかけ、光丹が蹴散らしている傭兵へ目を向ける。
立っている者はあと僅かだった。
返り血を最小限に押さえ、庭の木立を赤く塗っていく。
その時、背後に慣れた気配がした。
彼女も気づいたようで、強張った肩に手を置き落ち着けてから、振り返り姿の見えない影に呼びかける。

「来たか」

声を発した時、裏庭を邸の塀沿いに取り囲む者達の気配がした。

「はい。本隊と合流を果たし、館を包囲および南棟を制圧致しました」

「そうか」

彼女の視線が頬に突き刺さる。
それをあえて無視して、周囲に聞こえる音量で言葉を続ける。
そろそろガウシェンも人質を解放し終わっている頃だろう。

「北棟を制圧しろっ。アミュンの出入り口も見張り、誰一人逃がすな!」

俺の命令に、周囲で息を潜めていた兵が走り出す。
途端にそれまでとは違う騒がしさに包まれた裏庭の様子に、彼女が困惑したように辺りを見回す。
光丹が最後の老兵を気絶させたのとほぼ同時だった。

「ご命令を」

笑いを含んだ声で俺に問いかける光丹に、彼女はますます眉間の皺を深くし俺を見上げた。

「一緒に来い」

端的に告げ、さきほどから無視しまくっていた彼女の顔を見る。

「グレイ」

「すまない、説明は後だ。まずは、ガウシェンと合流する」

「ガウ兄と……」

下を向き考え込んでしまいそうな彼女を急かすように、名を呼ぶ。

「ナタ」

「っ!う、解った。急ぎましょうっ」

びく、と肩を揺らし、何故か俺の顔を見ず即決した彼女、ナタを訝しむ。
だがのんびりとしてもいられない。
踵を返して北棟に雪崩れ込んでゆく兵の間をすり抜ける。
北棟の脇を通り、巨大な塀の北の端を目指す。

邸内の北の角には、普段は焼却炉として使われる細身の塔がぽつりと立っている。
北棟から細い小道でつながる古びた塔は、ここ数ヶ月白いフードを被った不審な男が入り浸っているらしい。
こちらだけでなく、アルグバード側の間諜がいたことには驚いたが、年季が入っている分、 彼らの持つ情報の方が正確だろう。
もちろん故意に歪められない、という限りはつくが。

塔の前、塀の端にこぢんまりと作られた使用人達の通用扉をくぐる。
暗闇が広がるはずの塔の内部がほのかに赤暗いことに、ナタが小さく眉を寄せた。
咄嗟に彼女の口を手で塞ぐ。
ナタは驚き、目を見開いたが、すぐに大丈夫だと言うように頷いたので、そっとを覆っていた手をのける。

「こんな所に――」

「ああ」

それだけを交わし、闇に慣れた目で容易に捕らえる事のできた階段を気配を殺しのぼる。
光丹はいなくなっていた。
外壁から一気に頂上まで登ったのだろう。
本当に、憎らしいやら羨ましいやらだ。

物音はしていた。上階から明かりも漏れ出ている。
だが、腑に落ちない。

「グレイ」

数段下にいる彼女が俺を呼ぶ声が、ひっそりと響く。

「おかしい、と思うんです。なんだかまた嵌められてるような」

「また?」

思わず少し立ち止まり後方を見る。
神妙に彼女が頷いた。

「アミュンの北に、小さな村ができていたんです。数年前まではなかった」

「それはっ……」

ガウシェンが気絶させた老人の村のことか!
動揺を押さえ込み、再び歩みをすすめる。

「作られて間もない、1年くらいの村でした。住人は皆、侯爵の手先だった。特に、村長さんは、 きっと反乱軍の中枢にいる人で。1年以上前から準備している、と言ってて……」

言葉を濁したナタをちらりと見て、俺は光が強くなってくることに緊張を高めた。


余計な考えを廃除していく中で、ふっと彼女の沈んだ表情が残る。
俺の後ろにぴたりと張り付き、周囲に警戒の目を光らせるナタが、先ほど一瞬だけ見せた憂いが瞼の裏で点滅する。
それが何に依拠するのか。
同郷の者を売ったか心苦しさか、敵である俺に助けられた悔しさか。
どちらでもなければいいと思うが、現実はそう甘くはない、と冷静な声が脳裏に響いた。


「あ、そうだ」

階段の終わりが見えた頃、ナタが思い出したように呟いた。

「ありがとう」

そう言い、頭を下げる。
俺は解かれさらりと流れた、黒にしか見えない藍色の髪を凝視する。

「何の……」

「さっき助けてくれて。油断したとこを突かれたのが恥ずかしいですけど」

「いや」

短く答えて彼女の顔を覗き込む。
俺の視線にあからさまに目を泳がせるナタは、しどろもどろにぼそぼそと言う。

「えー。それだけ、です。以上!さぁ、進みましょう」

小声ながら元気よく言い、俺を促すナタに少しほっとした。
どうやら助けた事についての懸念は消えるらしい、別にお礼を言われるような事をした覚えはないが、 悪い気はしなかった。
何故、動揺しているのかはさっぱり解らないが。

「ああ。気を抜くな」

いざとなれば、彼女を庇いながら戦わなければならない。
あの左肩ではこれ以上の戦闘は厳しいだろう、何より体力は既に限界のはずだ。

ぴたり、と古ぼけた扉の前で立ち止まる。
明かりのついた部屋に感じ取れる人の気配はしない、……人以外の気配がある。
俺は、留め具の緩んだ木の扉を、勢いよく蹴破った。
燭台の明かりが目に入り込む前に、剣を抜き、部屋へ突入する。

「えっ」

声を上げたのはナタだった。
既に到着済みだった光丹は珍しく眉間に皺を寄せ、びしっと床に寝そべる一匹の猛獣をさした。
どうにかしろ、といったところか。
そんなもの俺がどうにかしてほしい。

「月狼!?どうしてっ――」

「何。我らは仇は等倍に、恩は2倍に返す。それだけの事」

「「「…………」」」

声が出せなかった。
あり得ないものから出た音が、これまたあり得ないほど正常に認識できたことで、混乱はさらに大きさを増す。
ナタが口をぱくぱくと開閉している様子を見て、改めて件の生物に目を戻した。
にぃっ、とまるで人間のように。
あの時の、満月を額に有する狼は笑った。

そして、その瞬間。
突如として、耳を潰さんばかりの爆発音が塔内を駆けめぐった。



 **********



『声が聞こえた』
――――と。数日前、彼女は言った。

あの時は口を噤み、内心で笑い飛ばしたが今はどうすればいいのだろう。


くそっ、ガウシェン!
悪態をつきながら、どうすべきかぐるぐると思案する。
この爆発はいくらなんでも派手すぎる。

満月を額に戴いた肉食獣は俺たちを見て、そして轟く爆発音に鋭い瞳を閃かせた。
ぞわりと悪寒が走る。
それほど目の前の獣は人間らしく、俺たちと同じ考えを持っていそうだった。

「さて。どうするかね、若い人間達」

獣を挟んで向かい側の窓枠に座る光丹は俺を見、言葉を待っている。
どうするべきか。

「月狼。お前は俺達、というよりナタに恩を感じたからここへきたのか?」

「いかにも。その娘の干し肉は少なかったが、我が同胞の血は守られた」

その答えに、心中だけで肯いた。
確かに彼女が待ったをかけなければ俺達はお互いの身をかけて争っていただろうし、勝ったのこちらだっただろう。
だが。
干し肉をもらったからといって、自分達に刃を向けた相手に恩返しなどできるものなのか。
眉間に皺を寄せたとき、つんっと後ろから服を引っ張られた。

「グレイ。ガウ兄のところに行きましょう。たぶん、」

ナタは、そこで一旦言葉を切った。
考え込むように顎に手を添えて少しうつむく。
さらりと、藍色の髪が彼女の頬にかかり、明るいとはいえない部屋の中で表情に影をつくった。
彼女が顔を上げるまで数秒もたっていないはずなのに、何故かずいぶん長く感じた。

「たぶん、この月狼は大丈夫です。悪い子じゃないと思う」

根拠は、と聞きかけてやめる。
有りはしない。
彼女自身、たぶん、と言っている。
それなのに、既に俺は、彼女の判断を八割方信じている。
本格的におかしくなってしまった自分に、胸の中だけで静かに溜息をはいた。

「わかった。光丹、先を――」


「その必要はねぇよ。もう来た、お前等遅ぇ」

続きを言おうとした瞬間、小部屋の奥からぬっと影がでてきた。
声のした方向へ反射的に構えをとりながら、顔を向ける。

「ガウ兄!!」

ナタのうれしそうな声を聞きながら、俺はガウシェンの後ろの男二人を凝視した。

鮮やかな緋色の髪を短く切りそろえ、黒い顔に皺を刻んだ年老いた男。
その男を支えるように、隣にたつ男はまだ若い。
ガウシェンより幾分薄い肌色に、焦げ茶色の短髪に傭兵用の服を着ている人間は、 目の色こそ違うものの間違いなくガウシェンの弟だ。

老人を見た途端、喉に苦いものが迫り上がってくる気がした。
見事な赤毛は汚れ、顔には泥がこびりつき服は埃が積もっているようだった。
がっしりとした肩幅に比べ筋肉は薄く、頬は痩けて目の下は病魔に蝕まれている人間のように落ち窪んでいる。
同じような姿の男をタバで見た。
あの侯爵は、彼も幽閉していたのか。

ガウシェン達に駆け寄ったナタの背を見ながら、光丹の視線を受けて、今後の行動を考える。
これ以上彼らを動かさない方がいいだろう。
この邸は第1師団だけで制圧は十分可能だろうし、州都から逃げようとしても別ルートからここへ向かっている軍の網に引っかかるはずだ。
それをただ待っているだけでもいい。
――――と、思うのに。

「若い人間。黒髪の魔術師に気をつけよ。奴は計り知れぬ」

黙って成り行きを見ていた月狼が唐突にしゃべりだす。
魔術師、というのは……まず、あの執事にまちがいない。

月狼の言葉にナタが勢いよく振り返り、「アーベルトさんってやっぱり魔術を使えたの!?」と叫ぶ。
俺はその瞬間、彼女の後ろで病人のようだった老人が眼孔をぐっと鋭くしたのに驚いた。
常人ならば既に倒れていても不思議ではない姿だが、老人からは闘志が沸々と溢れ出し、俺を圧倒する。

……忘れていた。
この老人はラウル・アジフ・ディレインだった。

ガウシェンと後ろの青年は、月狼が突然しゃべりだしたことに驚いていたが、尋ねることが無意味と悟ったのか諦めたのか、 何も言わずこちらを見ていた。


「執事と共にいたのはナキュエだな」

誰にともなくつぶやいた言葉に、光丹が静かに頷いた。
そうだ、他の誰を軍に任せても問題ないが、あの男だけは危険だ。
魔術、というものが何なのか、予備知識のないまま楽観的に構えているわけにはいかない。

「グレイ」

光丹を呼ぼうと口を開いたとき、ガウシェンの声が聞こえた。

「俺も行くぜ。あいつは無理だ、お前等の手にはおえない」

「私もっ!」

「駄目だ」

ガウシェンの声に反応したナタの言葉を切り捨てる。

「その娘が行かぬのならば、我も動けぬ」

「なら永劫ここにいるがいい」

揶揄うような声を出す月狼を恨めしく思いながら、吐き捨てるように告げると俺は踵を返した。
後ろからはガウシェンとナタと、老人と青年も追ってくる。
立ち止まり、階段上を仰いだ俺に、ガウシェンは苦笑する。

「諦めろ。こいつらは、こうと決めたらやり遂げる奴らだからな」

その言葉に憮然とし、けれど付いてくると言っている以上俺にはどうしようもない。
俺は無視して、元来た螺旋階段を駆け下った。







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