猫、窮鼠の罠に掛かる。四


夜が明けた。

一時、不穏な空気を纏っていたタバの町も、落ち着きを取り戻し始めた。
深夜に西と東の門で起きた、2度の乱闘の後には、石畳に無数の血痕が残っているだけだ。
蒼の機転で、第7大隊が単独で子爵邸を占領し、現ザイン侯爵以下、 乱に加わっていた主立った貴族を捕縛したらしい。
兵達は、生死を問わず一連隊預かりとなっている。

宿の前侯爵は無事だった。
室内はわずかに争った形跡があり問い詰めたのだが、宿の主人は特に何もなかったと言い張り、 ガウシェンもさして気にしていなかった。
そのガウシェンは、子爵邸へ行っている。

『アホな連中を鼻で笑ってやるのさ。貴族様を虚仮にする機会なんて滅多にねぇだろ』

見るからに凶悪な笑みを浮かべ言っていた。
けれど、内心はだいぶ違うだろう。
報告では、7大隊が邸へ乗り込んだ時、ガウシェンの名を呟いた男は既に事切れていたという。
あの男の他にも、アルグバード兵が反乱に加担している可能性は大いにある。

俺はというと、顔なじみの連隊長にネチネチと恨み言を吐かれた後、今後の作戦を練り、宿に帰ってきたところだ。
途中、蒼を見舞ったが、民家の壁に激突した割にぴんぴんしていたのには、苦笑が漏れた。
階段を上り、2階へ向かう。

「失礼する」

眠っていると思いながらも、一応伺いを立て扉を開く。
しかし予想に反して、先方は目を覚まし、枕元に手をつくと苦しそうに体を起こそうとしていた。
慌てて駆け寄り、背中を支える。

「無理をしないで、寝ていてくれ」

前侯爵の体を寝台へ押し戻そうとすると、思いがけず手を捕まれ間近で視線を合わせる。
血の気のない白い顔をして、目だけは射るような強さを宿している。
握る力は弱いはずなのに、ふりほどく気になれなかった。

「君は、」

「今説明はする。これ以上体力を使うな」

不規則な息の中、話し出そうとする前侯爵をどうにか止める。
厚手の上掛けを肩にかけ、半ば無理矢理寝台に横たわらせた。
その時、階下から上へくる足音が聞こえた。
少し固くした前侯爵の手をしっかりと握り返し、頷いて見せる。

やがて、コンコンッと扉を叩く音が聞こえ、ガウシェンが部屋に入ってきた。

「失礼。って、侯爵、目が覚めたのかっ」

驚き、大股で窓側の寝台に近づいてきたガウシェンは、その勢いのままずいっと前侯爵に顔を寄せた。

「ガウシェン?」

何をしているんだ。
というか、何がしたいんだ。

俺の疑問を無視して、ガウシェンは横たわる前侯爵の顔を穴が開きそうなほど見つめた後、 急に興味が失せたように顔を離し、髪をかき混ぜながら前侯爵の腰辺りに丸椅子を持ってきて座った。
看病用に、宿の主人の娘が下から持ってきた椅子だ。

前侯爵は不躾なガウシェンの様子をじっと見ていた。
そして、朱茶の髪を掻き一転して寝台へ顔を向けないガウシェンに弱く笑った。

「変わらんな、ガウシェン」

「……あんたは、随分と変わったな」

下を向いたままガウシェンは言う。
そして、顔を上げ寝台を見ると、目をすがめ片側だけ口端を上げて笑った。
前侯爵はその顔に笑みを深め、俺に視線を移した。

「彼は……」

「ああ、グレイっていう。アルと間違えないでくれ、すっげぇ怒るから」

「は?何を、」

何を言い出すんだ、この男は。

「ナタを覚えてるか?あいつが見間違ったみたいなんだよな」

「ナタ……ああ、あの子か。元気にしているのか」

懐かしそうに目を細める前侯爵を、俺は上から見下ろす。
彼女はこの人会ったことがあるのか。……それではやはり、俺の予想は当たっている。

「元気、だろうな。多分」

多分ってなんだ。
意地悪く言うにしても、時と場合と相手を考えろ。

「ガウシェン!」

思わず声を荒げた俺を呆れたように見やって、ガウシェンは息をついた。

「別にテキトーに言ったわけじゃねぇよ。そりゃ十中八九元気だろうが、無事とは限らねぇだろ」

眉が寄る。
こいつが言っていることは紛れもない事実だ。
……だとしても、安全な場所にいると信じたいのに。

「どういうことだ?あの子は何か危険な――」

「今、しっかり仕事してればアミュンにいるんだよ、あいつ」

その言葉に前侯爵が目を見開く。
焦ったように上体を起こそうとするのを、俺は慌てて止める。

「安静しててくれ。下手したら、あんた、長く持たねぇだろ」

「……何?」

息を呑みガウシェンに顔を向けると、酷く冷静な表情に行き当たった。
嘘ではないのだ、少なくとも。
否、この場で本人を目の前にして言うのだから、真実、なんだろう。

「そう、だな。今回は少し、無理をした。長くは、ないのだろうなぁ」

諦めたようにゆるく目を瞑る前侯爵を凝視する。
自分の眉間に皺が寄っているのが分かる。
病気、だった?
そのような情報は一切入ってきていないはずだ。

「目が、年々霞んできてね。右手が痺れるようになってからは、めっきり体力も落ちてしまった」

前侯爵、いやアシュヴァール・シュルトは俺にむかい、柔らかく笑いかける。
儚いような、それでいて全て受け入れてしまった者の顔だ。

「だから、家督を?」

「ああ。息子も40を越えた、もう分別もつくと。思った、のだがな」

「残念だったな。期待はずれで」

「ガウシェン、」

こいつこそ思慮がなさ過ぎる。
アシュヴァールはガウシェンの暴言に軽やかに笑った。

「お前には、そう、言われると思ったよ。ガウ」

そこで横たわったままアシュヴァールは大きく息を吐いた。
俺と、ガウシェンを目を細くして泣きそうな瞳で見、笑う。

「あれは、息子が誤ってしまったのは、私、のせいなのだ」

苦しそうに息を吸う姿に、俺は話すのを止めさせようとするがガウシェンに阻まれた。
泣きそうな声で、まるで懺悔のように、父親である人は言葉を続ける。

「あれは、ちょうど私と妻が不仲、な、時に育ってね。幼少は、嫌なものしか、見せてこなかっ、た」

息がしだいに荒くなる。
いけない、感情が高ぶっている。

「アシュヴァール殿っ、これ以上は」

「グレイ」

呼び止められ、ガウシェンを睨む。
ガウシェンは、視線で先を促す。

「いや、構わない、ガウシェン。これは、愚痴だ。悔いても、詮無い」

そう言うと、アシュヴァールはゆっくりと目を閉じる。

「全て、起こってし、まった後、なのだからな」

ぽつりと呟き、痩けた頬を動かし笑みを作った老人は俺を見た。

「グレイ、殿。一刻も、はやく謀反のっ鎮圧を」

「グレイ、でいい。無論そのつもりだ。そのために俺はここに来ている」

「へー」

余計な茶々を入れるガウシェンをちらりと睨んで、俺はもう一度、 既に目の閉じかかっているアシュヴァールを見た。

「安心して静養してくれ。約束は、必ず守る」

「やくそく……ぁあ、ありがたい」

囁くような声で言った後、前侯爵は静かに目を閉じた。
相変わらず青白い顔はよりいっそう白く、細く枯れたように見えて。
やはり、比喩的に考えてしまう俺もどうにかしてしまっているのだろうか。


こつり、と天井が鳴った。

「付き人様がお出迎え、だな」

半笑いで俺に言うガウシェンの顔を見、溜め息をつく。
もう、この男には何を言っても無駄だろう。
元々、他人の言うことを聞くような殊勝な性格では決してないやつだ。

「ダリス、どうした」

なんだかんだで、大まかにこいつの性格を把握してしまった己が少し空しかった。

「報告いたします」

頭上から声が振ってくる。
通常なら、周りに誰がいようと名を呼ばれたなら、構わず姿を現すものだが……。
ダリス、お前よほどガウシェンが嫌いなんだな。

「子爵邸の探索が終わり、第4、7、8大隊を除く、移動準備完了いたしました」

連隊長に出世した悪友と話し合った結果、第7大隊は子爵邸を占領し続けてもらうことにした。
同じくタバに残る第4、8大隊は、一連隊内でも後援に優れた部隊で、何より、経験を積んだ指揮官が豊富だ。
未だ混乱する反乱軍の拠点を任せるには打ってつけだ。
アシュヴァールの身柄を都へ護送する役目も、第4大隊の隊長に委ねてある。

夜明け前に都へ送った早馬は、もうそろそろ着く頃だ。
向こうから師団本隊か、同等の友軍が来るまでの間、3大隊でタバを統括することになる。

「分かった。駿馬を二頭用意しろ、同行する」

話し終わると同時に、再びこつりと上から聞こえた。
了解、ということらしい。
ガウシェンが呆れたように天井を仰ぎ、やる気なさげに呟く。

「嫌われてるなー」

「分かっているなら自重しろ」

駄目元で言ってみる。

「無理に決まってんだろ」

やはりな。
間髪入れずに応えが返ってきた。
再び零れそうになる溜め息を押しとどめ、気持ちを切り替え腰を上げた。

「行くか?」

「ああ。急がなければならないからな」

そう言い、少し考えた後、付け加えた。

「アーベルトと言ったか、あの男。 邸を取り囲んでいた隊の話では、突如馬に跨った黒髪黒服の男が街道に現れ、そのままイシュタム街道を駆け、 西へ向かったらしい」

「…………」

「目的地は州都だろう」

この情報は、さきほど連隊長から聞かされた。
西門付近のタバで、急に街道のど真ん中が夜明けでもないのに明るくなったと思ったら、 紫の光の粒子を纏った男と馬が見えた、と。
収まってきていたとはいえ、傭兵やら商人やらでごった返していた場所で、だ。
しかも、男の乗る馬は僅かに浮いていたらしい。
そのせいか、地面に倒れる兵を踏み殺すことはなかったそうだ。

もちろん。と言って良いものか。
通行人、その他立っている人間にもぶつかることはなかった、らしい。
さすがにそれは、紫の光を纏っていた間だけ、だったようだが。

「あり得なくは、ねぇだろうな」

「……そうだな」

信じられなくとも、多くの兵や市民がその目で見ている。
それに、不可能な事象は、試しの森であらかた体験してしまったせいか、あまり気にならなかった。
そう言うと、悪友には変な目で見られたが。

「行くぞ。あのまま飛ばしたなら、そろそろアミュンに着く頃だ」

「あー確かに。あいつ乗馬得意だったんだよなー」

……明け透け、というのは逆に厄介だ。
どこをどう突っ込んで良いのか、区切りに困る。

なんだか、ガウシェンという男を知れば知るほど、この性格と長年つきあえている彼女や軍の部下、 親戚達に敬意を抱いてしまうのは気のせいか。
こんなのがスレイルに、俺の周りにいなくて今心底良かったと思う。



俺は壁に掛けていた旅袋を取り、扉を開け階下へ向かう。
その時、ぴくりとほんの少しだけガウシェンの肩が上がり、動きを止める。
同時に、馬の手配に行ったはずのダリスの焦った声がした。

「申し訳ありません。至急西門へ、リルバス・シュルトが――」

「わかった向かう。先に行っていろ」

「承知しました」

間髪入れずに返事をする。
諾を告げる影の声は、すでに落ち着きを取り戻していた。

ダリスの気配が消えた瞬間、俺達は同時に走り出していた。
驚く主人とその妻に後を頼むと、街道へ踊り出、普段より格段に少ない人通りの中を全速で西へ駆けた。
所々に見えるスレイル兵も俺達を見て驚いていた。
中には不審者と勘違いして、止めようとする者もいたが振り払った。
一々説明している暇はない。

振り切り、走った。

「ガウシェン!お前が邸へ行った時不審なことはっ」

「ねぇよ!あったらお前んとこの軍がどうにかするだろ!」

そうだ。カシスは何をしているっ!?

尋常でない俺達の様子に、街道を通る人々は一様に道をあける。
空いたイシュタム街道のど真ん中を疾走する。
西門付近に住人はおらず、兵士達だけが時折路地を見張っていた。
前方に子爵邸にあった鋭角の棟の屋根が見えた時、西門の前に待機していた騎馬兵の近くにいる男が俺を呼んだ。

「グレイ!!」

「カシス!どういうことだっ、何があった!」

ダリスが僅かとはいえ動揺を見せたのだ、ただごとではない。
連隊長は眉間に深く皺を刻み、無言で一歩脇へよると、立っていた場所の真後ろで、 跪き頭を垂れた栗色頭の男を指さした。

「この男は……」

「リルバス・シュルト。ザイン侯爵の、はずだった」

「はず、だった?」

悪友にしては珍しく、苦り切った表情で栗色の髪を見下ろしていた。
困惑し、男まで数歩の所で立ち止まった俺の後ろからガウシェンが呆れを含んだ低い声を出す。

「違うだろ。それは、ザイン侯爵じゃねぇ。髪の色違うし」

「そうだ。そいつと同じ事を言ってきた老夫婦がいてな。最初は取り合わなかったんだが、」

「事実なのか」

俺の確認にカシスは無言で顎を引く。
厄介なことになった、では本物のザイン侯は逃げたというのか。

「老夫婦っーのは。ひょっとしてあいつらか。生地は上質の割に服が薄汚れてて、白髪で、 なんかこの数週間中で一気に老け込みました。ってくらい皺の多い」

「……たぶん」

本人達には聞かせられない、ある意味正確な説明をしたガウシェンに、カシスが引きつり気味に返事をする。
前侯爵を助けてくれ、と倉庫で縋ってきた者達だ。
その時、急に栗色頭の男がわめきだした。

「違うっ!儂はリルバス!侯爵だぞっ貴様らわわ儂に膝をつかせるなどっ……がぁ!!」

バチンッと小気味よい音と同時に栗色男が呻き、ひっくり返った。

「うるせぇ、ぎゃーぎゃー騒ぐな鬱陶しい」

「ガウシェン……」

この男は本当に。
跪く栗髪に近づいたかと思うと、いきなり平手で男の頬をひっぱたいた。
いや、ここは拳でなかっただけ良しとすべきか。
叩かれた男はむくりと体を起こす。と、きょろきょろと辺りを見回し始めた。

「え、あれ?俺、なんで、え、侯爵様は?」

「何を言っている?」

「えっ」

男は声のした方向、カシスを見上げ、目を瞬かせると途端に怯えだした。
訳の分からないことを口走りながら、後ずさろうとする。
そして後ろの兵にぶつかると、叫び声をあげ、石畳に頭をこすりつけ必死に命乞いをしだした。

「どうなっているんだ」

訳が分からず呟いた言葉に応えたのはガウシェンだった。

「暗示だよ、しかも結構強いやつだな。ここまでくると、もう魔術と変わんねぇ気がするが」

それだけ言うと、ガウシェンは再び栗色髪の怯える男に近づき、顎を持ち顔を上げさせた。
見るからに怯える男は、ガウシェンを間近で見てさらに青くなったが、しだいに落ち着きを取り戻し始めた。

「お前、庭師だな。最後に誰にあった?」

「こ、侯爵さまに」

「他には?誰が側にいた」

「ほ、ほか。他は、あっ!アーベルトさまがっ」

アーベルトか。……嫌な名前が出てきた。
侯爵家の執事長は、攻め込まれることを予測し暗示を掛けている。
そうすると。

「なぁ」

「なんだ?」

ガウシェンが俺の顔を仰ぎ見る。
表情は複雑で、そして苦く笑った。

「俺ら、もしかしたらすんげぇ思い違いしてる気がするんだけど」

「奇遇だな。俺も、同じ事を考えていた」

全くもって嬉しくない見解の一致だ。
だが、愚痴ってもいられない。

アミュンには、彼女がいる。


「カシス。俺達は一足先に州都へ行く」

「は!?おい、」

驚くカシスや一連隊兵を無視し話を続ける。

「馬を2頭連れてこい!お前達は街道をそのまま進め。俺達は北へ回る」

「それがいいな。アミュンの北は基本何もねぇから、警備も手薄だろうし」

事態が飲み込めず茫然とする栗毛男の側で、至ってまじめに言いガウシェンは立ち上がった。
同行者の了解も得られたところで、連れてこられた駿馬に跨る。

「カシス、すぐに来い。逃げ回られればこちらが不利になる」

不満を隠しもしないカシスに言うと、しぶしぶながら頷いた。
部下に指示する姿を見届け、手綱を打つ。

急がないと手遅れになる。
今はまだ。
まだ、無事なはずだ。

「ダリス!一連隊とともにアミュンへむかえっ。蒼にも伝えろ!」

それだけ言うと、一気に速度をあげた。







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