猫、窮鼠の罠に掛かる。壱


「……陽動」

彼女が呟いた一言、それだけで心が揺れた。
まずい、と体のどこかが警鐘を鳴らす。
その音から逃れるように、俺は彼女のいとこで騎士だという男と行動をともにしている。


 **********


「着いたぞ、ここだ」

前方から声を掛けられ、ようやく自分が立っている場所を把握した。
ここが、タバか……。
確かに、街道随一の宿場町というだけある。
長く横幅のある路、人の賑わいは先日視察したアルグバードの都にも匹敵する。
いや、活気という面では、今はその都より十分に持ち合わせているだろう。
もちろん、そんな状態に至らせたのは我等だが。

「真ん中で突っ立てると目立つ、とりあえず入るぞ」

促され、俺はタバの東門だという場所から、町内へ入る。

この男の態度は、森の中、彼女の居た時と些かも変わらない。
しかも、はっきりとは出さないが年下、まだ19歳だという彼女と同列に思われている。
それは、なんというか…実年齢的にかなり不満だった。
どちらかといえば、彼女より前を歩くこの男に近い年のはずだ。

それとも、俺は童顔なのか?
生まれてこの方、年齢より幼く見えるなど言われたことがない。逆なら、たまにあったが。

「ここだ。タバにいる間はこの宿に泊まるぞ」

「ちょっと待て」

さすがに宿まで決められてはまずい。
スレイルの息がかかった場所や馴染みの宿が在るわけではないが、この男の領域に足を踏み入れては、 圧倒的にこちらが不利になる。
口を開こうとした時、ふと視線を感じて目の前の男を見る。
老若男女入り乱れる大街道の端で、俺達は互いに数秒、もしくは数十秒見つめ合う。
男、ガウシェン・アジフ・ディレインは溜め息をつき、俺から宿へと目を移した。

「安心しろよ。ここは祖父さん行き着けの宿だから、戦とか権力争いに興味はねぇよ」

「…………」

それが事実だとして、どの辺りに安心を見いだせばいいのか、俺にはわからない。
俺は口を閉じ、この男を凝視する。
視線に気づきこちらに顔を戻した男は、俺の不穏な気配に気づき、にぃっと不敵に笑った。
その表情に、一気に毒気が抜かれる。

「決まり、だな」

「……勝手にしろ」

敵愾心を見事削がれた…と言うより、この数日そんな気持ちが発生する前に殺され続けてきた。
結果、俺は押されるままこの男の提案を呑むことになっている。
目の前の人間相手に、反論を考えるのが面倒になったというのもある。

俺の妥協を言葉を聞くなり、さっそく部屋を取ったやつは、店主と談笑しながら既に2階へ階段を上っている。
俺も、溜め息をつき後へ続いた。

 *

初めて顔を合わせた時からそうだったが、この男は基本、 自身に不利になる話題であっても煙に巻いたり嘘を塗り重ねる、ということをしない。
相手が彼女であれ俺であれ、それは変わらなかった。

自身を騎士と名乗ったガウシェンは、一度も嘘はつかなかった。
けれど、本当のこと、少なくともやつにとって事実であることを全て言ったわけではない。
俺が、俺も同じだから分かるのだ。全てではないが。

彼女も同じだった。
俺達と隠している事柄の種類は随分違っただろうが、それでも3人とも、一度も本音で話すことはなくここまできた。


「へぇー、意外に広いな」

「この宿をなんだと思ってんだ、ラウルの孫はっ。…ったく」

宿の主人の前でさらりと侮辱を吐いたやつは、主人の悪態を笑いながら聞いている。
街道に面した窓のある部屋は、確かにこの宿の立地や面積に比しても大きめで、 簡素ながら趣味の良い品がさり気なく配置されている。
金は前払いで、さきほどこの男が支払っていたが、この国の平均とほぼ同じ料金だった。
なるほど、これは確かに行き着けにしたくなるだろう。
会ったこともないこの男と彼女の祖父に、俺は好感を抱いた。

二つある寝台の横で話し込んでいる二人の会話に注意を払いながら、俺は路に面した窓を開ける。
わずかな砂埃とともに、秋の涼やかな風が吹き込む。
頬を撫でる風を感じながら、視線をあげ目を細くした。

太陽は中天より少し西に傾いている。
彼女と別れたのが昼前、あれから2時間弱か。
かなり速い速度で足を進めたと思っていたが、意外に時間がかかっている。
途中避けざるを得なかった川が多かったせいだろう。

迂回を決める同行者を疑わなかったと言えば嘘だが、それ以上にこの三日間の体験が衝撃的すぎた。
あの森の中では、何が起こっても全く不思議ではない。

『先達の言うことは素直に聞くもんだぜ』

悔しいが、初日に言われた言葉が身にしみる三日だった。


「何か見えるか?」

「いや」

すでに階下へ戻った主人から、粗方情報を聞き出していたガウシェンが話しかけてくる。
別段、珍しいものはない。
ごった返す人、馬、荷車。
街道に沿い、店を構える者達の客引き声。
微かに緊迫した空気が流れている気がしたが、気のし過ぎかもしれない。

「大きな宿場だな」

「ああ。都から直接延びる街道だし、一本で昂藍やスレイルまで繋がってるからな」

男の声は至って平静だ。
この男が動揺を見せたのは、俺がイシュタムに関する知識が文献に依るものだと話した時だけ。
あれには、彼女とともに唖然としていた。

「それより収穫だ。おもしれぇ事が分かった」

粗雑だが乱暴ではない口調で話す声は、心底楽しそうだ。
その中に、安堵の響きが含まれていることが気になった。
俺は窓を閉めようと窓枠に手を掛ける。
その時、ふと違和感を感じもう一度外を見る。

「ん?どうした」

ガウシェンが微妙に俺の背後に立たないように気をつけながら、近づいてくる。
俺は違和感の正体を探す。

そして、――――見つけた。

「あれは、」

「なんだぁ……っ!」

横で舌打ちが聞こえる。
いつの間にか俺の隣で窓を覗いていたガウシェンは、眉間に皺を寄せ外の光景を凝視していた。
街道を挟み、宿の向かいに位置する小さな食堂の横、細い路地の奥で大の男数人が取っ組み合っているのが見える。

男達は、どうみても町民という風体ではない。
鮮やかな衣を着、腰元や胸元に光る物――宝石などの装飾品を纏い、 腰に帯びた剣の鞘にも金が使われ中心には玉を埋め込んでいる。
男達は一触即発、という雰囲気ではないらしいが、どうにも物騒だ。

「成り上がり貴族のボンボンだな」

吐き捨てるように言い、ガウシェンは荒っぽく窓を閉めた。
そのまま、扉側の寝台に移動しどかりと腰を下ろすと、自らの袋から地図を取り出す。

「何故、成り上がりだとわかる」

動かず、窓に背を向けたまま尋ねる俺に、一瞥をくれると地図を見たまま答える。

「ミシュディプエ子爵、アーマス伯爵の師弟とその取り巻きだから、だよ。 20年くらい前に、ジル山脈で新しい金脈やら鋼紅玉の塊やらが発見されただろ。 そん時に、発掘やら流通やらに金注ぎ込んで財を成した連中だ」

「16年前だが」

指摘すると、ガウシェンにじろりと睨まれた。
ガウシェンは地図上に指を走らせながら、話し続ける。

「それ自体は別に違法じゃねぇ。 けど、売買方法や雇用があんまりにも強引すぎると一時期論争にもなった」

この男の表情から考えるに、その貴族や商人達はかなり我を押し通したのだろう。
さきほどの顔ぶれを思い起こす。
一応覚えておこう。

ジル山脈はスレイルお膝元だ。
山脈にはまだ多くの金銀玉が埋蔵されているらしく、そこからの揚がりは我が国にとっても重要な資源となっている。
たまたまとはいえ、鉱脈が発見された当時から皇帝直轄地でよかった。
おかげで余計ないざこざは、山脈の価値と比べて圧倒的に少ない。

にしても、この男は貴族の顔と名を全て覚えているのか。
アルグバードはスレイルの倍近く爵位を持つ者が居るはずだが。
だからこそ、貴族廃止という、少し強引だが手っ取り早い数減らしが必要でもあった。

「んな事より、ちょっとそこ座れ。さっきの話をする」

「さっきの話?」

おもしろい事、とやらの続きだろうか。
そこ、と指されたのは窓側の寝台だ。
窓際から離れ、ガウシェンと向かい合わせに座る。
地図からようやく顔を上げた顔には、既にとらえどころのない笑みが戻っていた。

「ここの親父が教えてくれたんだが、どうやら反乱の軍はこの町にいるらしい」

「ザインの州都ではないのか」

「みたいだな。ま、アミュン目指したのも確証があったわけじゃねぇし」

その言葉に眉が中心に寄る。
たしかにアミュンが本拠地だという仮説を裏付ける事実はない。
だが、乱の中心人物ザイン侯の本邸があること、州一の町であることから、当然拠点もアミュンだと思っていた。

「その情報は信用できるのか?」

「できるんじゃね?都に攻め入るならタバの方が近いし。 それにさっきの奴ら、派手な服着たボンボンがいるのが、なによりの証拠になるしな」

俺の疑いをあっさり否定したガウシェンは、持っていた地図を寝台の間にある机に置き、そのまま目を落とす。

「ここが都、んでこっちがザイン州都。その真ん中の、ここ。これがタバだ」

地図上の三点を順に指す、改めて見てもザインから都は近い。
だが、実際は試しの森という場所を通ったからか、かなり遠く感じた。

「なるほど。戦略として州都に軍を駐留させるというのは無理があるか」

「そうだ、俺も抜かった。ナタがじぃさん所に行くつってたのに釣られたぜ」

そこで彼女に責任を押しつけるのは、大人としてどうなんだ。
本人が聞いたら、間違いなく憤慨ものだ。
思わず呆れた目で、目の前の男を見てしまう。
視線に気づき顔を上げたガウシェンは一瞬眉を寄せたが、言及はしてこず、「それで」と続けた。

「こっからが本題。ここの親父の話じゃ、俺達とほぼ同時に件の侯爵様がタバに到着したんだと」

「何故、そんなことがわかる」

同時刻、ということは町人同士の噂話ではない。
間違いなくタバの町全体に情報網を張り巡らせ、到着予定時刻を割り出したのだ。

「さぁ?じーさんの知り合いだから、としか俺も解らん」

「……なんだそれは」

まったく説明になっていない。
眉間に力がこもる、それを見たガウシェンが苦笑する。

「俺も詳しくは知らないんだ。変人の友は変人、ぐらいに考えてた方がいいぜ」

めちゃくちゃな言いようだ。
ガウシェン自身もそれを承知しているのか、肩をすくめ室内を見回している。
俺に判ることと言えば、この男が祖父の知り合いにほぼ無条件の信用をおいていることだけだ。

俺は考えることを放棄し、そんな自分に変な危惧を覚えながら、話を戻す。

「侯爵がタバにいるとして、居場所の目星はついているのか」

「あー、だいたいはな。金にものを言わせて雇った傭兵が、タバの西口に集められてるらしい。 さっき言った子爵の持ち家だな」

言いながら、ガウシェンは地図を畳み袋に戻す。
俺は何とはなしにその様子を見つめる。

「んでだ。ここまで判った上でどうするよ、これから」

「作戦は続行だろう。こちら側が本命なんだ、俺としても手間が省ける」

敵陣営に潜り込む気など、2人に会う以前から全くなかったが。
この男は気づいていたが、彼女の考えがわからない以上、潜入も一応視野に入れていた。
その手段を取らなくてよいのは、俺としてもありがたい。

また、タバが根拠地ということではっきりした。
さきほどそれを聞き、ガウシェンもやはりほっとしたのだろう。

これで、州都へ向かった彼女はまだ比較的安全ということになる。

『過保護!』

別行動の前に彼女が叫んだ言葉が浮かび、自然と口の端が上がる。
確かにこの男は過保護だった。
兄貴気質と、言った方がいいのかもしれない。
俺に兄がいないから何とも言えないが、年上のいとこ達が時たま浮かべる表情にガウシェンのそれはよく似ている。
話では、彼女には他にもう一人従兄――この男にとっては弟がいるらしい。
そいつも、ガウシェンと同じなのだろうか。
俺に正体がばれていると思っていた彼女は、家族の話題になっても特に隠しだてることなく教えてくれた。
実のところ、あれは見せかけだ。
今だって、彼女の出自に当たりはつけているものの、正解かどうかは五分五分だ。


「それじゃ、予定通り今夜からでいいな」

「ああ」

否はない。
こちらとしても反乱は早期に鎮圧したい。

懇願されたということもあるが、俺自身この状況でまた戦を始めたくはない。
それでは、推進派連中に甘い蜜を吸わせることになる。
なにより、次にアルグバードとの争いが起これば、それは間違いなく泥沼の様相を呈すだろう。
俺の考えを見透かそうとするかのように、ガウシェンが俺を見ていた。

「一つ聞いていいか」

「……」

男の様子に、また危惧が増える。
だが、俺はあえて頷いた。

「スレイルは知ってんのか?この反乱が狂言じみてること」

予感は的中した。
それと同時に、少しだけ胸をなで下ろして笑う。

「……ああ」

この乱は見せかけだ。
否、アルグバードの民にとって乱でないだけだが。

まず、スレイル占領下の王城にザイン侯爵からの嘆願書が届いた。
内容は簡単だ、貴族廃止の措置をやめろ、と。
それでは体裁が悪いので、ウダウダ民の安寧だの新領主の適性だのを絡めながら書いて寄越していた。
捨て置いたところに、今度はザイン州に住んでいるという男から、ザイン侯爵が兵を募っている情報が入ったのだ。
つまり、反乱を起こそうとしている、と。

「実に小狡く頭が回る」

一方、民というと。
ザインの人間は、侯爵が嘆願書を出した事のみを知っている。
周辺に置いている傭兵については、スレイルの暗殺者を危ぶんで、ということにしているらしい。

「はは、まったくだ。ザインに攻め込んだら世論は一気にスレイルを非難するだろな」

からからと笑うこの男が恨めしい、こっちとしては、まさに死活問題だ。
口から漏れる声もかなり低くなる。

「他人事だな」

「当たり前だろ、他人事だからな」

すっぱりと言い切られ、未練すら残らない。
半眼で目の前の男を睨む。
ガウシェンはひとしきり笑い終えた後、ごほんっと態とらしく咳払いをし俺を見た。

「悪い悪い、んじゃ今夜だな」

それだけ言って、袋の中のものを出し始めるガウシェンに、俺への警戒心は全くと言っていいほどない。
俺の洞察力が足りない、というのもあるが。
この男は初めから俺に対し、必要以上の注意も警戒もしていない。

まるで、出会う前から俺を知っていたかのように――。

「俺も、一つ訊きたい」

気づくと、口を開いていた。
尋ねるなら今をおいてない、そんな強迫観念に突き動かされる。

「んぁ?なんだ」

ガウシェンが顔を上げる。
持っていたらしい大ぶりの飴玉を嘗め、そして一個俺に投げて寄こす。
それを受け取り、考える。
何故、俺はこうもこの男や彼女のことが気になるのか。
本当は、もう出ているはずの答えを無視して俺個人の答えもすべて無視して。
問いかける、国益だと偽って。

「お前は何のために、ここにいる」

「は?」

何を言っているのか、という表情だ。
その顔をきつく睨み据えながら、俺は身を危険にさらす可能性のある言葉を言い放つ。

生きていれば、後で弟やいとこに謝ろう、と考えながら。

「謹慎を命じられていたはずの騎士が、何の理由でここにいる」

ああ、城で待つやつらの苦り切った顔が浮かぶ。


「元第一王子剣術指南役、第一師団第2連隊長ガウシェン・アジフ・ディレイン」







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