海老で鯛を釣ろう。壱


「んじゃ、こっから別行動だ」

「うん」

しっかりと頷く私をガウ兄は凝視していたけれど、諦めの溜め息を吐くと言った。

「気をつけろよ」

「分かってる」

意外に過保護だったガウ兄に、呆れるけれどなんだかおかしくて、微笑む。
ガウ兄の隣で仏頂面を崩さないグレイにも、大丈夫だと笑って見せた。

「じゃ、作戦開始」

ガウ兄の声で、私はイシュタムの森を抜け、全速力で走り出した。



 **********



話は3時間前に遡る。


この森に入って4日目、そろそろ森を抜け湿地帯に出る頃だろう。
湿地はイシュタムの森の西側を境界線に這うように広がっていて、それを抜けるとザイン州都は目の前だ。
私はその湿地を見たことはないけれど、ガウ兄曰く、おかしな事態が起こる事ではイシュタムの森と良い勝負らしい。

「ねぇ、ガウ兄。急がなくていいの? 前にすれ違ったスレイルの人達、もう着いているかもしれない」

どこへ、とは言わなくとも全員分かっている。――ザイン州都だ。
彼らはまっすぐ西へ馬を走らせていた。
あの場所から西方向へは、イシュタムの魔術か湿地の効果か、仕掛けられた術の効果が薄くなってゆくのだ。
あった時と同じ速度なら、1日かからず森を抜けただろう。

「それはない」

即答だ。
私は首を傾げる。
先頭を歩いているガウ兄は振り返って、私の横を歩いているグレイを見て言う。

「スレイルの連中は書物でしか、森の事を知らないんだろう?」

グレイは頷いた。

「ああ。恥ずかしい話だが、占領して半年では都内の治安維持と、アルグバード全体の地理の把握が精一杯だな。 都近郊とはいえ、地元民にまで手が回らないのが現状だ」

「だとさ」

これは私に向けての言葉だ。
確かに、本でしかイシュタムを知らないのなら、森はともかく術のかかった湿地を通るのは至難の業だろう。
森は下手に木や川に触れない限り、魔術は発動しないが、湿地はそうもいかない。

「じゃあ、スレイル軍は湿地で足止めされてるってこと……」

「足止め、で済めばいいがな」

私の言葉に被せるように、ガウ兄は半笑いで不吉な事を言った。
ちらり、と横を歩くグレイを見るけれど、彼は平然としている。


おかしい…。

ずっと疑問がつきまとう。
グレイはスレイルの諜報員なんだから、味方に損害が出る事は大なり小なり嫌うはずだ。
2日前の、自軍との接触を避けた事もあわせて不思議。

私は黙り込む、左手で顎をさすりながら考える。
何かを隠していると、私の直感、悲しいかな女の感ではなく剣士の感、が言う。
しかも、両方とも、だ。
ガウ兄にも不審な言動が多すぎる。

私の横でグレイが口を開く。

「それでは、どうする?ザイン州都を目指すなら、このまま西へ進むのが最短距離だ」

グレイは地理には疎くないが、やはり地元でないからか、地図上の距離や道で考える。
本人もそれをわかっているけれど、今の時点ではどうしようもないと言っていた。
知らない事は恥じゃない、とガウ兄にどんどん質問している。
ここ2日のガウ兄とグレイは、私がちょっとおかしな妄想をしてしまうほど、仲が良くくっついている。

「あー、いや。それは無理、あそこは通れねぇ。違う道で行く」

頭をガシガシ掻きながら、ガウ兄は考え事をしている。
私のもそうだけれど、ガウ兄の考え事の癖も大概わかりやすい。

「平原を突っ切っていくの?」

それはたぶん、いやかなり危ないんじゃないでしょうか。

私の言いたい事が分かるのか、ガウ兄はうーん、と考え込んでいる。
おおっ、ガウ兄が真剣に思考している。
いつも無鉄砲と紙一重の作戦を出してくるというのに。

さくさくと、今も降りそそぐ落ち葉を踏みしめて、私達は歩き続ける。
平原を通るならそろそろ進む方向を変えなければいけない場所まできている。
遙か向こうに小さな沼が見える。

グレイも思案顔だ、なんとか良い方法はないかと頭を働かせている。
私は似た顔で考え込む二人を交互に見る、だんだん悲しくなってきた。
私ってそんなに信用ないかな。

「……陽動」

だから、ぽつりと言ってやった。
その瞬間の二人の顔は、かなり見物だった。



 **********



ガウ兄はともかく、グレイまであんなに過保護だとは思わなかった。

心の中だけで溜め息を吐いて、速度はまだ弛めない。

まだだ、あの林までっ……。
息はかなり上がっているが、体力はある。
伊達に4歳から剣を握っていない、こういう時だけは祖父母の教育方針に感謝できる。

平原にぽつんと不自然に生える林に、たどり着く。
ひょろりと細長い木々が密集するこの場所は、私の姿も隠してくれる。
森の中では気づかなかったけれど、気温の高い日に日陰があるというのは最高だ。

吹き出す汗を手で拭いながら、滑らかな幹の合間から、辺りを見回す。
どこまでも広がる青い草原が、晴れやかな空と交わっている。
遠くの方にいる人は、山羊飼いだろうか。
山羊達はというと、林のすぐ側まできていて、私に気づいているのかいないのか、 草をむしゃむしゃと口に頬ばっている。

あー和むわー、長い間都にいたから余計に癒される。
私はようやく、故郷に帰ってきたのだと実感した。


 *


作戦――と言っても権謀術数を駆使するわけじゃないけれど、概要はこうだ。

まず私が平原を通り、人目を避けて州都を目指す。
私とガウ兄の故郷は、州都からさらに奥へいった、ミズリムという町。
森から出るところを見られては全て台無しなので、全速力で離れ、そのまま迂回しながら歩く。

ガウ兄とグレイは一旦着た道を引き返し、イシュタム沿いのタバという宿場町へ行く。
ガウ兄が言ったように、古代の術が残る森に好んで入る人はほとんどいない。
大概が、怖いもの知らずか度胸試し。
騎士団や国、地元の人達がいくら警告しても、命知らず達の数は減らない。

多くの人は、イシュタムへは入らず、森に沿うように敷設された街道を通りザインへゆく。
タバはイシュタム街道最大の宿場町であり、ザイン州都に次ぐ規模の町だ。
つまり、そこで騒動が起これば、州都に集まっている反乱軍も、出動しないわけにはいかなくなる。
二人は現れた反乱軍を足止めした後、馬で州都へ来る手筈だ。


私は反対した。
私が陽動、と言ったのは、私自身がそれを実行するつもりだったからだ。
けれど、ガウ兄だけでなくグレイにまで反対された。
1時間近く粘ったけれど、結局最後は丸め込まれてしまった。

ガウ兄の頑固者め。
ふたりの方が、私より早く州都へ行けるじゃない!

私の役目は、州都に集まっている兵力がどれほどか見極める事。
タバに割いた戦力も計算した上で、 できるなら騒ぎを起こして本隊の動きを攪乱する。
ガウ兄とグレイの命運がかかったような作戦に、できるなら、なんてついているのは、 二人のしなくて良いという思いが多く入っているから。
最初からあてにされていないのは、一応戦力の端くれを自負している身としてかなり辛い。


そして今、私は迂回して、北から回り込み州都近くの小さな村にたどり着いた。



 *



「あー、気持ちいい」

思わず呟いて、クッションにもふもふと顔を押しつける。

日がとっぷりと暮れ、森の中に似た暗闇が辺りを包む前に、私はどうにか州都近郊の村に着く事ができた。
野宿してもよかったんだけれど、やっぱりそこは普段気にしていなくても、華の19歳。
ちょっと、野宿に慣れた自分に虚しくなってしまったから。

軍資金は父からある程度もらっていたし、私もお金は宝石などじゃなくて現金で持つタイプだから、 宿泊費くらいでは困らない。
3日ぶりのベッドは、王宮のものほどふかふかではないけれど、寝心地は良い。
昼前から歩きずくめの足は、さすがに疲労している。

かなり速いペースで歩いたからなぁ。
でも、この調子なら明日の夕方にはアミュンに着けるっ。


それにしても、と考える。

この村は小さい、……小さすぎる。
昔、祖父母とザイン巡りの旅をした時はなかったと思う。
ここ数年でできた村なんだろう。
それが、逆に違和感ムンムンだ。

ザイン州は、ザイン侯爵がその大部分を治めている。
イシュタムの森の西半分と、湿地帯も含めるため、 その面積はアルグバードの存在する12の州のうち、最も広い。
森と湿地以外、北の山地を除けばほとんどが平野だが、農耕牧畜が主産業なので、 広さに反してザイン侯爵が特別財力を持っているわけでもない。
そして、ザインは広いが、広いが故に住民は諸処にばらけていて、 ひとつひとつの町の規模はそれほど大きくない。

少し前に、大きめの町もあるし。
交通の便のいい場所でもない。
むしろ人の流れは、イシュタム街道に面する東門側に集中している。アミュンの北門に近いこの地域は、 帰郷や湯治する人間以外訪れることの少ない場所だ。
なおさら、新たに町を作る必要はない。

州都アミュンへ馬の足なら半日とかからない距離にありながら、町に住まず、 わざわざこの村を作り住みつく意味は――――。


背筋が寒くなった。
ぞわっ、と気味の悪い痺れが全身を駆けめぐる。

数年前、いやこの規模と村の様子からして、住み始めて1年ほども経っていないのかもしれない。
間違いなく急ピッチで建てられた村だ。
そして、ついた時はすでに薄暗くていまいち判然としなかったけれど、この村には子どもがいない。 出会ったのは、村唯一の宿を経営する30代の夫婦、そのほか男が4人、女が1人、犬一匹だけ。

やばいな。

ごめんなさい、ガウ兄とグレイ。
もしかしたら、私は州都に着けないかもしれません。

心の片隅で詫びながら、ここから抜け出す算段を考える。
体はベッドに横たえたまま、けれどいつでも動き出せるよう意識を張り巡らせる。

夕食食べなくて良かったぁ。
耐性はあるけれど、やっぱり一服盛られると後がつらい。
でも、お祖父さんお祖母さんありがとうっ、幼い日のあの辛さもこれで少しは報われます!

一日で2回も祖父母に感謝したのは、初めてかもしれない。


その時、誰から階段を上る音がした、一気に体が硬くなり臨戦態勢をとる。
上半身を起こし、ガウ兄の長剣を側に寄せる。
コンコンッと扉を叩く音に、「どうぞ」と低めの声を返す。

入ってきたのは、宿の女将の方だった。

「どうしました」

平静を装い、気軽に尋ねる。
袋はそのまま扉側の壁にかけておいた、荷物一式を一カ所に揃えておいたら疑われる可能性が高くなる。

「あ、いえね。お夜食を作ってきたんですよ、夕食を食べられたと言っても、育ち盛りですからね。 何もないところだけど、これくらいは、ねぇ?」

少しぎこちなく笑いながらも、すべらかに話す女将さんに、私は心の中で焦った。
この人は、というよりこの村の人達すべて、私の事を男だと思っている。

確かに、確かに見るからにお金のなさそうな不健康男子ですけどっ。
宿を取る時、「あら、男前ね」などと言われ、愛想笑いをしながらどれだけ傷ついたか!

女の一人旅も不自然だなと思って、声を低くして合わせる事にしたのだ。
にしてもこの状況はまずい。
健全成長期男子なら「気がききますね。ありがとう、小腹が空いていたところなんです」ぐらい言って、 快く受け取る場面だ。
私は湯気のたつおにぎり3つと焼いた切り身魚に目を落とす。
おいしそう、たとえ毒入りでも。

女将さんは引きそうにない、けれど私も大人しく食べるわけにはいかない。
なら行動は一つだ。

私は女将さんから皿を受け取ると「ありがとうございます」と言って頭を下げた。
一瞬覗き見た彼女の顔は、あきらかにホッとしていた。
これなら、いける!

「奥さん」

すさかず私は顔を上げ、女将に呼びかける。

「っ…はい?」

呼ばれた瞬間、ぴくりと肩が上がった彼女に、私はにっこりとできる限り甘い顔で笑いかける。


思い出したのは、半年前の戦争で息子を亡くしたという現侯爵の話だった。

都では、温厚で知られていた元侯爵まで反乱を支持した事で、同情が広がっている。
貴族、しかも侯爵なんて地位を失いたくないが故の反乱だったとしても、 表向きはお涙頂戴で取り繕うにかぎる。



「実は、俺。反乱軍に加わろうと思って、都から飛んできたんです」

「……は、」

「ご主人を呼んできていただけませんか。あと、この村の責任者の方も」

目をこれでもかと見開いた女将さんに、頭の中だけで鼻歌を歌う。
グレイ、私あなたの気持ち少し分かったかも。

「是非、俺もアミュンへ行き、ザイン侯爵様に力をお貸ししたいんです」

ガウ兄、グレイ。
約束は何が何でも、守ってみせますよ。







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