一難去ってまた一難。四


豊富な木の実を中心に囲み、3人で早めの朝食を取っていた時だ。

「ほぉー。お前、スレイルの間者か」

グレイの素性を聞いたガウ兄の最初のリアクションが、これだった。





「ガウ兄、他に言う事ないの?」

「他にって。俺に何を言わせたいんだよ」

「…………」

私は深々と溜め息をはいた。
私の隣に座るグレイも、目を丸くして、呆気にとられている。
いつもいつも、ガウ兄は暢気過ぎる。

「何だよ、お前ら。そんなに驚いてほしかったのか」

「違うよ、そういうことじゃなくて」

全くわかっていない、この年上従兄にどう説明すればいいんだろう。

「じゃあ、あれか。間諜め、とか言って斬りかかってほしいのか」

「全然違いますっ!」

そんな訳ないでしょ!
頓珍漢なガウ兄の相手に疲れて、もう一度溜め息をはき肩を落とす。
ちらり、とグレイを見ると、なにやら考え込んでいた。

「グレイ?」

座っていても見上げる形になる私とグレイの身長差、顎を上げて覗き込むと「何でもない」と首を振られた。

「ん、どうした」

「ガウ兄が変な事言うから」

八つ当たり気味に、正面に座るガウ兄を睨む。
ガウ兄は私の態度に片眉を少し上げる、これは腹が立った時のガウ兄の癖だ。
それがまたカチンときて、さらに言い募る。

「だいたい、ガウ兄はどうしてここにいるの」

その言葉にガウ兄の目が険しくなる。
まずい言い過ぎた、と後悔してももう遅い。

「馬鹿か。お前を追ってきたに決まってるだろう」

「ばっ……、どうしてガウ兄が私が森にいるって知ってるの」

「同僚が教えてくれたんだよ。お前が俺の家に侵入してたってな」

「え」

「慌てて帰ってみれば、長剣は疎か旅用袋まで無くなってやがるし。 食料庫はほぼ空だしな」

「ううっ」

「こりゃただの家出じゃないと思って、探してみれば案の定だ。 グレイにも言ったがなぁ…森の事を知らないのはお前も一緒だぞ。 一応年頃の女が、しかも夜から!この森に入ってただで済むと思ってんのかっ!」

……ごもっともです。
けれど、そこまで頭ごなしに怒らなくても。
私だって好きでイシュタムに入ったんじゃない!

「一応って、どういう意味!?」

怒りのせいか、混乱した頭で一番カチンときたのはそこだった。
正真正銘立派な女性です!
レディかと訊かれると、応えに詰まるけれども。

「そうだろうが。どこの国にそんな傷だらけの19歳がいるんだよ」

「くっ」

悔しいっ、ガウ兄に常識で説教された。
確かに腕や膝には一生ものっぽい傷もあるけれど。

「顔には傷ないよっ」

「当たり前だ、あったらもう嫁の貰い手はない。……だいたい、その服俺のだろ」

「……」

今度こそ言い返す事ができなくて、しゅんと下を向く。
必然的に、ガウ兄の家から掻っ払って、いやいや、拝借してきた衣が目にうつる。
サイズが合う、というだけで選んだ服は、それでもかなりだぶだぶで、見栄えは悪い。

清潔なだけが取り柄の朱の上着は、ガウ兄が着ているものと同じくだいぶ禿げていて、 赤色なのか鈍茶なのかわからない。
ずぼんに至っては、2カ所ほど擦り切れていて、他にも切れそうな所がある。
色は、……赤系なんだろうな、と推測するしかない。

「妙齢の女が、それはどうかと思うぜ」

自覚している事に、追い打ちをかけないでください。
妙齢以前に、女としてどうよ、な服装だ。

「これしかなかったんだから、仕方ないじゃない」

宮殿にいた時のドレスじゃあ、今頃裾とか泥だらけのズタボロになっているだろう。
かといって、兵士が監視しているはずの我が家へは帰れない。

「自分の服着ろよ」

「だからっ――」

そこで、はっとグレイの存在を思い出した。
危ない、勢いに任せて自分から正体を暴露してしまうところだった。
ガウ兄の口車に乗ると、毎回とんでもないことになる。


「ナタ」

その時ようやく、私に存在を忘れられるほど静かだったグレイが口を開いた。

「君の家はザイン領にあるな」

断定的な質問に、私は目を丸くして――血の気が引いた。

「え……っ」

「隠さずに言ってくれ。そうすれば、相応の処置は取らせてもらう」

ばれてる?ばれてるよね、これは。
グレイの視線が突き刺さる、彼の顔を見れない。

なぜ見破られた?どこで?
問いが頭を駆けめぐる。
ガウ兄に会うまでは大丈夫だ、彼は私の名を知らなかったのだから。
その後、何をした。何を話した?起こした行動は――。

その時、頭の隅の方を何かが掠めた。
がばっ、と顔を上げ、ガウ兄を凝視する。
ガウ兄は、にいっと嫌な笑みを浮かべて私を見ていた。

「やっと気づいたか」

その一言で合点がいく。
グレイも私から視線を外し、鋭くガウ兄を見る。
私が言葉を発する前に、ガウ兄が続ける。

「俺が名乗った時点で気づけよ、そんくらい。 お前、まだ混乱してるだろ。そんな頭でじーさん所まで着けると思ってんのか」

「……」

ガウ兄の目が私を突き抜けて、心臓が痛い。
喉がカラカラに渇いているのは、緊張からだけじゃない。
考える事すら失礼だ、と思っていた人から裏切られる事ほど辛いものはない。

「どうして、」


私達が身分を明かして得する事は、アルグバードがスレイルに負けた日から無くなった。
爵位を持っていないガウ兄だって、その例外ではない。
彼は、アルグバードの騎士なのだから。

喉を震わせて尋ねた私に、ガウ兄は少し困ったように首を掻く。

「しゃーねぇだろ。俺がお前を見つけた時、お前の側にはグレイがいたんだから」

いまいち飲み込めない。
どういうこと、と目線で問う。

「ちょうどグレイが水汲んでる時だったんだよ、俺がお前ら見つけたのって。 で、グレイがスレイル人だって分かったはいいが、正体は判らんわけだ」

水を汲んでる、のくだりでグレイがわずかに反応したように見えた。

「偏り気味だがこの森に関する知識は持ってるし、腕もたてば気配にも聡い。大方、見当つくだろ」

「だから……」

「そ。だからどうせお前の事も、近いうちにばれてたぜ。 疑念ってのは早いうちに解いておいた方がいいからな」

言い終えると、解ったか、というような顔で私を覗き込む。
私は頷くしかない。
同時にほっと心の中で息をつく。

よかった、ガウ兄はやっぱりガウ兄だった。
なんだかんだ言っても、私をさりげなく助けてくれる。
グレイの顔でアレクを思い出していたから、神経質になってるのかもしれない。
アレクは約束を破った。
仕方なかったのだとしても、あれは、私の中で、まだ裏切りの箱に入れられたままだ。


「ナタ、話してくれないか。最初に言った通り、俺は君を傷つけるつもりはない」

口を挟まず聞いていたグレイが、静かな瞳で私を見下ろす。
私はどう応えればいいのか分からず、困ってしまう。
というより、美青年、しかもアレク似顔、にそんな真摯な表情されたら、嫌だなんて言えません、私。

「グレイ」

名前を呼んだのは、ガウ兄だった。
ガウ兄はさきほどまでの困り顔が嘘のように、不敵に笑っている。
私は時々、この従兄が何を考えているのか、全く分からなくなる。
不器用で鈍いと思えば、驚くほど計算高く周到な面を見せる。――ガウ兄ってほんとわからない。

「言っただろう。俺は、ガウシェン・アジフ・ディレイン。騎士団所属してた。 男勝りで俺の古い長剣なんぞを勝手に持ち出す従妹を追ってきた、って」

修飾語が余計だ。
私を貶めて、そんなに楽しいか!

グレイはガウ兄の言葉を注意深く聞いている。
何か大事な事を言っているようには、思えないんだけれど。
グレイの正体暴露の前にあった、ガウ兄の自己紹介だ。

「それが答えだよ。それ以上でも、それ以下でもない」

言い切って、ガウ兄はまた挑発的にグレイに笑いかける。
だから、どうしてそんなに険悪なんですか。

「そこで満足し引け、ということか」

「ま、そうだな」

グレイが仏頂面で尋ね、ガウ兄がにやにや顔で応じる。
第三者として見ている私は、意味が分からず、首を傾げる。
数秒間の沈黙の後、グレイは息をつきガウ兄から私に視線を移した。

「わかった。ナタ、俺は君にはこれ以上聞かない。話したくなったら、言ってくれ」

「わかり、ました……?」

全く意味が分からないが、とりあえず詰問されることはないらしい。
さっきのガウ兄とグレイの攻防は、いったい何を争っていたんだろうか。
眉を寄せ、首をひねる私を、ガウ兄はくくっと低く笑っていた。

仮にも戦争をした国同士の人間が、こんなほのぼのでいいんだろうか。
自分の事を棚に上げて、そう思う。



「んじゃ、行くか」

「え?」

声をあげた私に、ガウ兄は呆れたように息をつく。
私が持ってきた旅袋を担ぐと、さっさと歩きだしながら言う。

「まだぼけてんのか。じいさんとこ、行くんだろうが」

ガウ兄はそういうけれど、違う。

「そうじゃなくて、」

除けていた落ち葉を再び、私達が座っていた場所に被せ直しながら反論する。
すると、もう準備ができたのかグレイが側に来た。

「私も同行させてもらう。君達が反乱軍に加わる可能性は、まだ残るからな」

「グレイ……」

私を見ずに話すグレイを見上げる。
その視線に気づき私を見たグレイは、困っているのか悲しんでいるのか、酷く曖昧な表情を浮かべている。

「先行っとくぞー、早く来いよ」

ガウ兄の声が遠くから聞こえる。
グレイは私の顔をじっと見続けている。

「グレイ?」

焦れて尋ねた私に、グレイは困ったように笑った。
そして、私の頭に手を乗せると、なれない仕草でゆっくりと撫でた。

「え」

「そういう事に、しておいてくれ」

意味不明な行動に困惑する私にそう言うと、グレイは振り向かず歩き出す。

「あ、待って!」

私は慌てて、ガウ兄に預けてもらった長剣を持つと、二人を追いかけた。


一難去ってまた一難、と言うけれど。
私の場合、難は去らず、むしろ気がつけば二難も三難も抱え込んでしまっています。







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