一難去ってまた一難。参


「ガウ兄」

「何者だ」


私とグレイが言葉を発したのは、同時だった。
当の本人、ガウ兄と言えば、私達を交互に見て、なにやらしたり顔で頷いている。
そして、グレイへ向けて、絶対わざとだろう、にっこりと気味悪いほど満面の笑みをなげた。

「驚いただろう?」

うわぁ、ガウ兄喧嘩売ってますよ。
グレイの頬がわずかに引きつる、それを見て私の背に嫌な汗が伝う。
これは、ひょっとして、かなりまずい状態でしょうか。

「グレッ――」

「ま、俺が誰かは置いといて。とりあえず、ここを離れようぜ」

慌ててグレイを止めようとした私の言葉に被せて、ガウ兄は平然と最初の提案へ戻った。
遊ばれてる、私達絶対遊ばれてるっ。
文句を言ってやりたかったけれど、それよりガウ兄の言葉が気にかかる。

「馬が近づいてるって、どういう事?」

ガウ兄に質問した時、ちらりとグレイから視線を感じたけれど、私がグレイを見るより早くガウ兄が話し始めた。

「そのまんま。そんな速くはねぇけど、こっちに近づいて来てる。野生じゃない、軍馬だよ」

軍馬、と言い切ったガウ兄に私の体が緊張を帯びる。
私を追ってきたんだろうか。
不思議ではない、城を抜け出してから既に半日が経過している。

もう少し、時間を稼げると思ってたんだけれど。
それともスレイル軍は既に地元民を味方につけていたんだろうか。

「なぜ、軍馬だとわかる」

何も言えない私の代わりに、グレイがガウ兄に尋ねる。
瞳は深い色を帯びていて、そして逃げ出したくなるほど鋭い。
ガウ兄は悠然とその視線を受け止めているけれど、私だったら足が震えて立っていられないかもしれない。
睨みつけるグレイに、ガウ兄の顔にわずかに笑みが走る。

「簡単さ。この地域に野生の馬は少ないし、飼ってるのも金持ちや配送屋、 あと商人くらいだし。そいつらは、この森なんて絶対通らない」

「……」

グレイは言葉を発しない。
じっとガウ兄を凝視している。
その視線にガウ兄は笑みを深めた。

「もっとてっとり早く言おうか。……軍馬かどうかなんて、蹄の音でわかる。ほぼ勘だけどな」

その言葉にグレイの顔がさらに厳しさを帯びる。
どうしたんだろう、……何か、困ってる?
グレイの様子に疑問が深まる。
軍馬だとしたら来ているのはスレイル軍だ、アルグバード軍に関わる施設は例外なく封鎖されていて、 馬なんて出せる状態ではない。
自国の軍なんだから、困る事なんてないはずなのに。

「で、どうする?そろそろ遠くに見えてくるぜ。隠れるなら今しかない」

「あ」

そうだ、どうしよう。
どこかに隠れてやり過ごしたいけれど、グレイがいる手前疑われるかもしれないし。
私の不安なんて意に介さず、ガウ兄は飄々としている。
その態度が楽しんでいるように見えて、不満が募る。
けれど、私が文句を言う前にグレイが行動を起こした。

「近くに、身を潜める場所などあるのか」

「え」

それって、つまり隠れるってことだよね。
グレイは、スレイルのスパイ……じゃない?
ますます訳のわからなくなる私を無視して、ガウ兄とグレイは話し続ける。

「あるぜ、こっちだ」

「待て、そちらは地面が盛り上がっているだろう。すぐに見咎められる」

「先達の言うことは素直に聞くもんだろ。心配すんな、来てみればわかるさ」

「……わかった」

グレイはまだ納得していないようだったけれど、一応話は纏まったらしい。
私はと言うと、いまいち話が飲み込めない。

ガウ兄は、どうしてグレイの事を聞かないんだろう。
彼の強さはガウ兄なら一発で見抜けるはずだし。
何より、どうしてグレイを見て驚かないの?アレクそっくりじゃない!?

「おい、何ぼけっとしてる。早く来いよ、連中が来ちまうだろ」

「どうした、ナタ」

二人に声をかけられて、慌ててそっちへ、川の上流の方へ走る。
私の荷物はグレイが、長剣はなぜかガウ兄が持っている。

「早くしろよ、……えーと、ナタ」

せめてもう少し自然に呼んでほしかった。
この、剣以外、変なところで本当に不器用な従兄に、演技を期待しても駄目だろうけれど。
自然な気遣いっていうの、苦手だからな。
そのせいで未だ独身……。

「おい、ナタ。今、なんか失礼な事考えただろ?」

「えっ、な、何も」

「へー」

ははは、と空笑う。
不器用なくせに、勘だけはいいなあ。

「急げ、ナタ。来るぞ」

「うん」

グレイに急かされ、足を速める。




川に沿って上流へ歩くと、いつの間にか人一人が歩けるほどの道ができている事に気づいた。
その先はゆるい階段が続いている。
最後の段差を登り終えると、後ろから、ドドドッという蹄の音が聞こえた。

「来た」

音の方を振り向いた私の後ろから、ガウ兄の声がする。
心なしか楽しそうなのは気のせいですか?

「本当に大丈夫なのか、これでは丸見えだ」

「信用ねぇなぁ。…大丈夫だよ。 お前、グレイだっけ、この川の秘密を知ってたんなら別に不思議じゃないだろ」

「どういう事だ」

厳しい声でグレイが追求する。
確かに疑う気持ちはわかる。この森に、この国に入って間もないなら、誰もが疑問に思う事だ。

「まあいい、見てろよ。向こうから俺達は見えていない」

右横からガウ兄の腕が伸びてきた。
指はまっすぐ馬、ガウ兄の読み通りまさしく軍馬だ、を指す。
じっとスレイル軍の動向を見守っていると、彼らは私達など目に入らないように、 丘の横を素通りして、そのまま西へ駆けていった。



「なぜ、」

「言っただろう、あいつらに俺達は見えないんだよ。そういう魔術だ」

「まじゅつ」

「そう。森に入る前、言われなかったか? この場所、イシュタムの森自体が一個の巨大な魔術で、術を起こす陣の塊なのさ」

「グレイ、誰にこの森の事を教えてもらったの?」

私はガウ兄が現れる直前に尋ねていた事を、グレイに訊く。
川の術の機能まで教えてもらえるなんて、どんな人だろうと純粋に興味があるのと。
もう一つ、スレイル軍が既にその情報を持っているのなら、逃げおおせる事は不可能に近いから。

「いや、教えてもらってはいない。書物で読んだんだ」


「「はっ!?」」


私とガウ兄は、グレイのあまりの言葉に同時に叫んだ。
書物って、本って、なんて無茶なことを。

「お前、…根性あるな。いや、単に命知らずなだけか?」

グレイは私達の反応に、逆に驚いて、ムスッとしている。
言葉を発しないグレイに焦れたのか、ガウ兄は髪をガシガシと音がしそうなほど掻き回し、説明しだした。

「あのなぁ、イシュタムの森は普通の場所じゃねぇんだよ。 森が深いとか険しいとか、そんな理由で都の連中が近づかないんじゃない。 ここには、未だ古の術者の作り上げた陣が残ってる」

「それは知っている」

「本当にそうか?骨の髄まで理解できてるやつは決してここへは入らない。 ここは、……イシュタムは“試しの森”と言われる。俺も詳しい事は知らねぇが。 昔な、ここらがクロスファルドと呼ばれていた時代に、 当時の女王が後継者を決めるために作ったと、言い伝えられてる」

「試しの、森」

一言一言、しっかり記憶に留めるように発音するグレイに、私は頷く。
スレイル人の彼には初耳なんだろう。
北の方では、もう古代の秘術はほとんど失われたんだと、昔母が言っていた。

「この小川はもっと上流に行くとな、二つの小さい水の流れからできてる。 一方は、飲むと上から栃の実が落ちてくる、周りに生えてるのは全部栗だってのに、だ。 もう一方は決して飲むなよ、呪をかけられる」

「呪?……何のだ?」

「10日間内にこの森を出なければ、飲んだ者は息絶える。骸は栃に変わるんだとさ」

「……」

「しかもそういう時に限って、事はうまくいかない。 その呪を受けた人間のうち、無事帰ってこれたやつは半分以下って話だ」

ガウ兄がそこまで言い終えた時、それまで黙って聞いていた私は口を開いた。
グレイの眉間には皺が張り付いている。

「この川の知っているんですよね」

「ああ」

短くだが応えてくれたグレイに、私はほっと息を付く。

「この森にはほんとに無数の川が流れていて、それぞれ掛けられている術が違うんです。 そして、術を掛けられて、力を発揮するのは水だけじゃない」

「それが、この丘ということか」

グレイが神妙に言葉を紡ぐ。
この場所の恐ろしさを理解できたらしい。
緊迫した空気が和らいだ気がして、私はほーっと息を吐き出す。
グレイが書物の知識だと言った時は、本当に焦った。

「スレイルにはないんですか?こういう場所……」

「俺の知る限りでは、ない。 噂でも、奇怪なものはアルグバードや昂藍、リシュアの事だった」

「そうですか」

お母さんの言っていた事は事実なんだ。


『スレイルは力を失いつつあるの』

『アルグバードもいづれ、そう遠くない未来に魔術の加護を失うのでしょうね。 創主が眠りについた世界の辿る道なのよ』

過去、故郷の家で母が呟くように私に言った言葉が、頭の奥で再生される。
それは少し嫌だと、思う。
なんとなく辛くて沈んでいると、ガウ兄に頭をはたかれる。

「何凹んでんだ。とりあえず、もう少し先へ行くぞ」

「うっ、……はい」

なぜだか既にこの場を仕切っているガウ兄に、もう何も言う気になれず、私はゆっくり歩き出す。
すると、グレイがまだ来ていない事に気づいた。

「グレイ?」

じっと小川と、上ってきた階段を見下ろしていたグレイは、私の声にこちらへ向く。

「いや。なんでもない」

そして小さく首を振ると、最後に私と座っていた辺りを一瞥し、私の方へ来た。

「行くか、ナタ」

「うん」

私を見下ろすグレイの瞳が気に掛かる。
けれどあえて何も聞かず、私達は先を歩くガウ兄についていった。







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