風前の塵と、春夜の夢。


「伝令っ、伝令ぇーーーっ!!」

長剣の男は後方の声に、一瞬だけ後ろを振り返る。
そして、隙を突こうと死角から押し寄せてくる黒月を戴く男達に、躊躇うことなく剣を振り下ろす。

肉に食い込み、骨の砕ける独特の音が上がる。
しかしそれも、辺りのあまりの喧噪に一瞬にしてかき消された。


「なんだ!」

先人が倒れても怯まず向かってくる敵兵に舌打ちをし、男は声を張り上げる。
男の剣捌きに、ほんの一瞬思考の飛んでいた伝令は我に返り、命令を復唱した。

「師団長閣下より伝令!第2第3連隊は直ちに退却せよ!!繰り返す……」

しかし、男はもう伝令の声を聞いていない。
脇目もふらず、前へ、黒月の紋章が翻る敵陣へと走り出す。

「――――閣下より伝令っ第2第3連隊は直ちに退きゃく……ぅあっ!!」

背後で伝令の声が途切れるのを聞きながら、それでも男は足を動かす。



「引けーーっ!退却だぁあああーーーーっ!!!!」


男は唸るように声を発し、剣を振る。
向かってくる敵兵を一人残らず斬り殺しながら、友軍が残る最前線へ走る。

男の声は、剣を合わせ擦り合う音や断末魔ばかりの戦場にありながらよく響いた。
一瞬で声の意味を理解した両軍は、その途端、前以上に激しく打ち合い出す。

「退却ーー!!退却しろぉおおおおおーーーーっ!!!」

べっとりと頬に血を付け、男は血みどろの大地を走る。

ゆっくりと、だが確実に仲間達は後退してゆく。
それに追い縋る黒月の軍の足止めが、男に残された仕事だった。
足をもつれさせ倒れる自軍の兵に、剣を振り上げる人間に、男は斬りかかる。

「うぅぁあおおおおっーー!!」

男は雄叫びをあげる。
自らの剣を振り下ろす。
飛び散る血飛沫が、男の腕、男の顔にかかる。
それを拭うことなく、新たな敵と対峙し前に進む。

男の持つ、緩やかに湾曲した長剣は、鮮血と油で鈍く光っていた。



「引けぇええーー!!全軍撤退ィィイーー!!」

男はついに戦の最前線に出た。
知らぬうちに男の顔に笑みが浮かぶ、なぜ口の端が上がるのか男にも分からなかった。

「隊長っ!!!」

「副団長ぉおお!!!」

呼ぶ名は違えど、すべて歓喜の声は男に向けられていた。
男はそれに応えず、まさに今、打ち合っている配下と敵の間に強引に割り込んだ。

「たいちょっ……っ!」

「早く引けっ!!!もたもたすんじゃねぇ!!」

「はっ!!」

しかし、男の意識が刹那、完全に配下に向いた事を、黒い三日月を身に纏う男は見逃さなかった。

「はぁあああーーぁっ!!」

「隊長っ!!!」

男の剣が三日月の男を捉えた時、男の右腕は真っ赤に染まった。




 **********




「各地の状況は」

漆黒を纏った男は、音もなく近づく青年の気配に、顔を上げず言葉を発した。
男に似、しかし瞳と肌において決定的な差異を持つ青年は、男が座る玉座に軽く黙礼した。

「報告いたします。第四師団第一、二連隊が王領に到達」

そこで男は一瞬息を吸い、刹那に吐いた。
青年は続ける。

「既に王都包囲の任についている第3師団と、合流を果たしたと――」

「ダムスキール近郊の戦局はどうなった」

青年の発言を遮り、男は重い声で詰問する。
男の言葉に青年の表情が、瞬時に苦々しいものへ変わる。

「……未だ、膠着状態との報が入っております」

男は嘆息し、それきり沈黙した。
財の限りを尽くした豪華絢爛たる玉座の間には、男と青年しか存在しない。
男はようやく顔を上げ、ぐるりと室内を見渡す。

男はこの場所を何より嫌っていた。
巨大な岩を積み重ね、何十年という歳月をかけ作り上げられたこの城の中で、最も嫌悪を抱く部屋だった。
何故そのような事を思ったのか、当の男ですらわからない。
しかし、ふと過ぎった――玉座に登った日に消し去った思いに、不思議と不快感は湧いてこない。

「第一師団の被害は、どれほどだ」

男の幾分和らいだ声音に、しかし青年は緊張を強くする。

「死者1800、傷兵は……半数以上かと」

「アルグバード側は我が軍の4分の3、だったか。奮戦しているな」

男は自嘲するように薄く笑う。
敵を称える男を、青年は悲痛な面もちで眺めていた。

「はい、第一師団はジラール公爵が指揮いるとか」

「戦神でも、憑いているのかもな」

戦神、と青年は心の中で言う。
そうであるなら、青年はやはり男を戦場に出さなかったのは正解だと、改めて思った。




その時、唐突に扉が開いた。


「何事だ!陛下の御前――」

「申し訳御座いません!しかし、ただ今第三師団長閣下からの報がっ!」

青年の叱責にも衛士は怯まない、その顔には歓喜が広がっている。

「……なんだ」

男の静かな言葉に後を押され、衛士は声高な声で告げた。

「今朝方、第三師団長閣下がアルグバード王よりの招請を受けた、と!」

衛士は喉を、足を震わせる。

「も、求めに応じ城へ登ったところ、王より降伏の旨を伝え聞いたとの事です!!」


衛士の言葉に、青年は玉座を振り返る。

「陛下」

「ああ、わかった。ご苦労」

男は誰にも聞こえぬよう小さく溜め息を吐いた。
そして、それをおくびにも出さず衛士を退出させると青年を呼ぶ。

「これから忙しくなる。行くぞ、クラウド」

「っ、はい」

名を呼ばれ、刹那年相応の表情に立ち戻った青年は、すぐにそれを引き締める。
男はその様子を目に入れ、うっすら笑む。
男、スレイル皇帝は玉座に手を掛け、勢いよく立ち上がった。




 **********




リシュア歴紀元後2835年。
アルグバード王城内では、降伏文書調印、および降伏条件が議論され、合意に達した。
これにより、アルグバード王国――後にアルグバード朝ファルド国として歴史に名を残した国は、351年の歴史に幕を降ろした。
強国スレイルはアルグバードを取り込み、ネヴ大陸最大の領地を手に入れた。

スレイルは未だ厳しい氷雪の中。
アルグバードの都では、雪が解け若葉が芽吹く時節だった。







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